Skip to main content

Posts

Showing posts from June, 2017

Death's End の音読3:私の英語は世界で私にしかできない

https://www.dropbox.com/s/b8s5vkafe5zm7iu/deaen3.mp3?dl=0

みなさん、こんにちは。

今日は、Cixin Liu 著 Death's end のP478-479の一部を音読しました。

音読は、読む量が減ります。

相当音読しても、1日に20ページ程度しか読めません。

情報収集には、まったく不向きです。

ま、小説だからいいんですが。

さえ、今日の音読箇所は、アステロイド・ベルト付近に、巨大な望遠鏡があり、そこに2人の軍人と科学者が常駐していて、観測をしている。そして、最新鋭の望遠鏡により、遠くの恒星の形がわかるようになり、科学者の Windall が大喜びしている、という場面です。

近頃思うのは、自分の英語の発音や声はこれでいい、ということです。

生きるということは、自分とは何かを証明していくことです。

自分は他人とは違うから自分であるわけです。

だから、お手本となる方々の発音を目指すのはいいことですが、完コピする必要はないと思います。

今後は、他の誰とも違う、自分の英語の声に磨きをかけていきます。

茄子とピーマンと豚肉のベジマイト炒め

今日は、茄子とピーマンと豚肉のベジマイト炒めを作った。

ベジマイトは最高だ。

なぜネット上ではまずい、と言われているのかわからない。

たぶん、色からしてチョコレートを想像して、食べたら苦くてしょっぱかった、という体験をした人たちがその話を吹聴したせいではないだろうか。

幸い、私は食べる前に、苦い醤油味の味噌、という情報を得ていた。

だから、テンメンジャン代わりに、野菜炒めなどに使用している。

そして、味覇と組み合わせると、とても美味しい。

さて、話は変わって、今日は関係代名詞の授業をしたが、たいへん良い授業であった。

私はそもそも、授業が好きでない。

仕事だから、テキストに載っていることを、時間内にきっちり説明しなきゃ、という義務感でいっぱいなので、ぜんぜん面白くない。

でも今日は、彼らに最低限わかってほしいことだけにしぼって授業をやった。

問題解説の順序も自分の好きなようにしたし、板書も下書きとは違う、しかも断片的なものだった。

でも、生徒の集中度も理解度も、ふだんより良かった気がする。

だが、疲れた。それで、疲労回復に、茄子とピーマンと豚肉のベジマイト炒めを作ったというわけさ。

とても、美味かった。

終わったことも、これからのことも気にしない。

昨日、クリエイティブに生きるために、自分の好きなことを優先することにしたと宣言した。

よって、今日は朝から、仕事の準備で大わらわだった。

なんだ、仕事してるじゃん、と思うかもしれないが、今日は違う。

義務感からじゃなくて、やりたかったからやった。

この、気持ちの違いが大事。

あと、過ぎたことは失敗も成功も、どちらも気にしないことにした。

失敗は、繰り返さないように自分の思考や言動を縛るし、成功体験も、それを繰り返そうとするため、同じように自分を縛ることに気がついた。

いつも新鮮に、自由に生きるために、終わったことは気にしないことにした。 

将来についても、この考えは応用できそうだ。

明るい・暗い、どっちの未来像にしても、気にしないことにしよう。 

無限の選択肢を選べるように、いつも自由を心がける。

クリエイティブに生きる

ここ数日、思う存分音読ができていない!

仕事が忙しくて、そっちを優先しているからだ。

でも、今日考えた。

好きなことを最優先にしたい。やりたいと思うことを最優先したい。

義務感・責任感からではなく、楽しい、面白いことをするのがクリエイティブな生き方だ。

自分の人生だから、そうしよう!

吉田松陰の辞世の句はこれだった!

「面白き ことのなき世を 面白く
住みなすものは 心なりけり」

これを吉田松陰の辞世の句と思ってブログに2度書きました。

ところが、さっき掃除機をかけていたとき、ふと、「身はたとえ、武蔵の野辺に朽ちぬとも、留め置かまし。大和魂。」という句が頭に浮かびました。

あ、そうだ、吉田松陰の辞世の句はこれだ!

あれ、そうすると、面白き~は、誰の句だったっけ?

確か、病床の本人が上の句を読んだら、 下の句を妻が読んだ、という話だった気がする。

松蔭は、小伝馬町で処刑されたから、病床のはずがない。

はて、誰だ?

と考えているうちに、高杉晋作の句だと気づきました。 


ついでながら、今日はその掃除機がけの前に、人形町~小伝馬町あたりをグーグルのマップで見ていて、あぁ、10年前と随分変わったなぁ、昔あった本屋もなくなっちゃったんだ、なんて思っていたところでした。

実家が人形町の近くだったので、小伝馬町の吉田松陰終焉の地なんかも、秋葉から散歩がてら、よく行ったものでした。

てなわけで、松蔭さんが、おいおい、そいつは俺の句じゃねぇよ、って教えてくれたのかもしれませんね。

松蔭さんは江戸っ子じゃないから、こんな口調じゃないか。

ポジティブになってきた今日、この頃。

みなさん、こんばんは。

日常の中に潜む、面白おかしいことを探そうとし始めて、数日が経ちます。

変わってきたなと思うのは、面白い点はないだろうか、という視点で出来事を振り返るせいか、何事もポジティブに思えるようになってきたことです。

以前なら、つまんねえ、退屈だ、嫌だ, etc. で終わっていたようなことでも、そうではなくなってきたことです。

これは良い変化だと思います。