おばちゃんが旅立った。

おばちゃんが、今朝亡くなった。

99歳の大往生。

1940年代、10歳上の私のおばあちゃんとともに、後にGHQが使用することになる、第一生命の医務室に勤務。

東京大空襲の日は、当時住んでた深川を、おばあちゃんとともに、命からがら生き延びる。

戦後、おばあちゃんと一緒に東京裁判を傍聴。

その後、築地の聖路加病院に勤務。当時、朝鮮戦争で負傷したアメリカ兵が、一旦聖路加に運ばれて、手当てをしてからアメリカへ送還されたらしく、その作業に従事。

その後、昭和30年代〜40年代は、ブラジル移民船の医務室に勤務。当時は海外渡航が自由でなかった時代だが、香港〜シンガポール〜モーリシャス〜ケープタウン〜サンパウロ(その他いろいろ中継地を通った)と、世界各国に行く。

私が外国や英語に興味を持ったきっかけは、どう考えても、このおばちゃんである。

ちなみに、お父さんは、おばあちゃんの19歳下の弟で、結婚したときに養子になった。だから、おばあちゃん、おばちゃん、お父さんは姉妹兄弟であり、東京で、一緒に暮らしていた。

その後おばちゃんは仕事で山梨へ引越し、家を建てたが、毎月東京の我が家に来ていた。

だから、おばちゃんも家族の一員だ。

そのおばちゃんが、山梨で今朝、息を引き取った。

* * *

話は変わって、1月に亡くなった父は、このおばちゃんからその昔、香港で買った、Rから始まる舶来の高級時計をプレゼントされた。

私はその時計がいつごろのものか、製造年を知りたくて、シリアル番号を見ようとしたら、バンドが外れて、戻せなくなった。

だがシリアル番号から、それは私が生まれた年のものとわかった。

9月始めに、仕事がひと段落ついたので、その時計を、アンティーク時計専門

店に持っていき、修理を頼んだ。

時計屋さんは、11月にできると言っていた。

ところが、不思議な縁で、今日、修理が終わりましたとメールが着た。

おばちゃん、時計がきれいになって、一安心してあの世に旅だったんだなぁと思った。

おばちゃん、長い間、お疲れ様。

外国のこと、英語のこと、たくさんたくさん教えてくれて、言い切れないほどありがとう。

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