歴史的水路を歩く
今日は天気がよく、暖かかったので、川を見に行きたくなりました。
都営新宿線住吉駅で降りて、新大橋通りを四つ目通りを越えて大島方面へ行くとすぐに、猿江恩賜公園とティアラこうとうが見えてきます。
そのまま歩いていくと、道が盛り上がり、橋があるのがすぐにわかります。
その下を流れる写真1の川は、一体なんという川でしょうか?
<写真1>
答えは、横十間川。その昔、江戸と下総国を分ける境界線でした。「おお、ここが横十間川かぁ!」私を含めて5人弱の人が同時に橋を渡りました。また川沿いの道路では自転車に乗った親子数組を含めて10人くらいの人にすれ違いましたが、この川の歴史を噛み締めて、感動しながら歩いていたのは、もちろん私だけでしたよ。
そして、しばらくすると川辺に下りて行けました。
写真1の橋が上記の橋。左手の横長の建物がティアラこうとう。また奥の方にはスカイツリーが見えます。川の上流が北で、錦糸町、亀戸の方になります。そのはるか北は埼玉、栃木方面です。
<写真2>
この小名木川の整備こそ、徳川家康が江戸城に入城して、まず初めに取り組んだ大事業のひとつです。
家康は、千葉(下総国)から塩を江戸に運ぶための水路として、深川の湿地に小名木川を作らせました。
<写真3>
写真1、2を撮った場所の対岸です。手前に見えるのが小名木川で千葉方面(右側)に流れています。左側に曲がっているのが横十間川です。空色の橋が小名木川クローバー橋で、写真1、2は正面のマンションの下の川辺の歩道で撮りました。なお、小名木川沿いの川沿いの歩道は、塩の道と名付けられていました。
<写真4>
<写真5>
<写真6>
そこで、2つ水門を作りました。まずそこに船を入れます。次に前後2つの水門を同時に閉じて、水を注入したり抜いたりして、水面の高さを調節してから、船を先に進ませるようにしました。閘門(こうもん)は、英語ではlock、また水門の扉自体はlock gateと呼ばれます。canal lockで検索すると画像も見つかります。イギリスには小規模なものは、結構あるのかな?
<写真7>
手前のロックゲートと右奥にもう一方のロックゲートが見えます(渡り廊下みたいなところです。)その下には赤信号が点灯していて、ロックゲートは閉じています。船が手前(=東:荒川、千葉方面)から入ってくれば、手前のゲートが閉じて、水位を調節後、奥のゲートが開いて、隅田川方面(西の方=江戸城、現在の皇居)へ進んでいきます。
扇橋閘門の近くは歩道が工事中で手前の橋の上までしか近寄れず、わかりにくい写真になってしまいました。
それはさておき、小名木川沿いの遊歩道、しずかでなかなかよかったです。そして、徳川家康や秀忠、家光あたりの治水工事によって、今の東京や関東地方があるのかと思うと、感慨ひとしおでした。
今度は、荒川にも行ってみたいと思います。
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