情報に左右されない

情報に左右されないで、生きるようにしはじめた。

昔はテレビ、新聞、雑誌が一方的に情報を押し付けてきて、それを見て一喜一憂していたが、現在は、インターネット上で、それに対するコメントも大量に手に入るようになった。

つまり昔なら、親しい人同士の、おしゃべり、雑談、井戸端会議だけに留まっていた意見が、現在は公に、しかも膨大な量が拡散されている。

それを見て、また一喜一憂してしまう。

私たちは、たくさんの情報の中で、何が正しくて、何が間違っているか、どれを信じて、どの情報を捨てればいいか、その難易度が極めて高い時代に生きている。

さて情報というと、今言ったマスメディアばかりを思い浮かべるが、私たちがもっとも影響を受けるのは、マスではなく、プライベートな情報だ。

簡単にいえば、「〇〇さんは、あなたのことを好きみたい」、「最近あなたに関する悪い噂があるみたいだけど、心当たりある」みたいな一言に、私たちはイチコロである。

私たちは、社会生活を営んでいるので、こんなことを言われると、それこそ一大事である。

コロナウィルスに全世界で何人が感染したかより、同じ会社のなんとかさんが、どう思っているかの方が、緊急事態に違いないのだ!

ところが、よく考えると、こんな一言ほど、情報ソースが不明瞭で、信ぴょう性の乏しい情報はない!

しいて言えば、その一言を発した人が、信頼できる、親しい人というだけである。

あぁ、考えてれば、こんな一言に、ずいぶん振り回されて生きてきたなぁ。

そんなことに気づいてから、マスコミはもとより、ネットの書き込みや人の噂なんて、もう気にしない。

自己責任において決断し、行動するわけだから、情報には振り回されず、自分を信じて生き始めた、今日このごろである。

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