両国橋は二つの国にまたがってない

 両国橋は、武蔵と下総の二つの国にまたがるから両国橋と言われている。

すると、隅田川が江戸と下総の境界になる。

これが一般的に誤解されている内容である。

私もそう思っていた。

しかし、実際には江戸は亀戸の近くの横十間川までで、そこから東が下総国になる。

そりゃそうだ。本所、深川は1830年に幕府がここまでが江戸だよ、という朱引き内どころか、奉行所が直接管理する墨引き内に入っているのだから、下総国のわけがない。

では、どうして隅田川が境界と思われるのかというと、これには衝撃的な事実があった!

それは、江戸時代よりもはるか昔の、平安時代頃、隅田川は二つに分かれていた。

あるいは南に土地がなかった。

確かにそうだった。浅草海苔って言って、浅草近辺まで海だったんだもんなぁ。


1000年くらい前は、隅田川はその浅草の対岸あたり、今の向島あたりから南東の方へ流れていたらしい。

今日のスカイツリーのやや北西の鳩の街商店街というところあたりを流れていて、そして今の横十間川に合流して東京湾に流れていった。

考えてみれば、浅草の北の方には三河島、隅田川の対岸には牛嶋神社の牛嶋、向島、寺島など、島がつく町名が未だに残っているじゃないか。

隅田川の南側に、葦が生える湿地に、小島がぽこぽこあったんだろうよ、きっと。

それで、今の向島や本所、深川は武蔵国、東向島や亀戸は下総国となる。

まあ、そういう点からすると、隅田川より東側が下総というのは大昔の意味では正しい。

しかし、両国橋のある本所や深川のあたりは、1000年前はまだ海や湿地で、地名が存在しなかった。

だから、両国橋が二つの国にかかっているというのも間違いだ。

両国国技館に相撲を見た帰りに、総武線に乗って秋葉原方面に行くときに、総武線の鉄橋を渡りながら隅田川を眺めて、ああ、こっから武蔵の国かぁ、と思ってはいけないのである。


🌟利根川の大工事が要因

さらに調べていくと、もともとは、太日川(ふといがわ)というのが、武蔵と下総の境だったらしい。

しかも、その太日川(ふといがわ)は、現在の江戸川で、千葉県と埼玉県、東京都と千葉県の境になっている。

ところが、その太日川の西側に、なんと利根川が流れていた!

今は西から、隅田川→荒川→中川→江戸川だが、江戸時代前は、隅田川(宮戸川)→利根川→太日川(ふといがわ=江戸川)だったのだ!

そして、のちに太日川(ふといがわ=江戸川)は利根川に、利根川は江戸川になった。

そういえば、利根川はかつて、江戸川だったという話は聞いたことがある。
それを江戸時代に銚子の方まで利根川を伸ばした

それがすごいんだわ!

江戸時代より前、千葉県には巨大な水たまり?があった。

で、利根川を東へ移す大治水工事の際に、その水たまりは、印旛沼や手賀沼、霞ヶ浦などになっていったらしい。

さらに、隅田川とか荒川とか、1000年くらい前は、入間川(埼玉のあれ)、渡瀬川(足尾銅山

鉱毒事件で有名)、鬼怒川(温泉地)などが流れ込んできていたらしい。

もう、複雑すぎて、手に負えないが、それを何百年もかけて治水工事をしたり、干拓したりして、現在の形になった。

参考:よく読んでない。図は見た。一番参考になったページが見つからない。

zhttps://wako226.exblog.jp/240362917/

https://www.mapple.net/articles/bk/2901/?pg=2

https://yamakatsusan.web.fc2.com/keiido_tokyoskytree.html

https://sarasina.jp/products/detail/148


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