世界を変えられるのは、自分しかいない。
人は見たいものを見出し、聞きたいことを聞き出すらしい。
つまり、興味のあることの情報には敏感になり、興味のないことは聞き流してしまい、記憶にも残らない。
ということは、自分が今、現実だと思っているのは、実は自分の興味がある情報によってできている、偏った現実なのだ。
私は生徒の受けが悪く、授業もさっぱり面白くない、不人気先生だ。
だから、授業をやっていても、生徒が退屈そうに下を向いていたり、よそ見をしていたり、そんなことばかりが視界に入る。
そして、あ〜あ、仕事やめたい、となる。
しかし、これは、真実ではない。
この現実を私に見せているのは、私の思考の根底にある、「私は生徒の受けが悪く、授業もさっぱり面白くない、不人気先生だ。」というネガティブな思考だ。
生徒が退屈そうにしているのは、私のせいではなく、別の要因があるかもしれない。
よそ見をしている子は、気になる生徒がいて、そっちを見ているのかもしれない。
つまり、世界を決めるのは、自分の思考、自己イメージだ。
ネガティブに考えれば、それを補強するネガティブな情報ばかり集まる。
ポジティブに考えれば、それを補強するポジティブな情報ばかり集まる。
どっちも偏っているかもしれないが、ポジティブな方が楽しかろう。
「どうせ、ダメだし、できないし、金ないし。」なんて思うのは、やめて、
「毎日、楽しいなぁ。」
「人生はなんて素晴らしいんだろう。」
「今日もごはん美味しいなぁ。」
「私はなんて大金持ちなんだろう。」
みたいに、考えていると、だんだんそうなってくると思う。
今日は、そんなことを考えた。
つまり、興味のあることの情報には敏感になり、興味のないことは聞き流してしまい、記憶にも残らない。
ということは、自分が今、現実だと思っているのは、実は自分の興味がある情報によってできている、偏った現実なのだ。
私は生徒の受けが悪く、授業もさっぱり面白くない、不人気先生だ。
だから、授業をやっていても、生徒が退屈そうに下を向いていたり、よそ見をしていたり、そんなことばかりが視界に入る。
そして、あ〜あ、仕事やめたい、となる。
しかし、これは、真実ではない。
この現実を私に見せているのは、私の思考の根底にある、「私は生徒の受けが悪く、授業もさっぱり面白くない、不人気先生だ。」というネガティブな思考だ。
生徒が退屈そうにしているのは、私のせいではなく、別の要因があるかもしれない。
よそ見をしている子は、気になる生徒がいて、そっちを見ているのかもしれない。
つまり、世界を決めるのは、自分の思考、自己イメージだ。
ネガティブに考えれば、それを補強するネガティブな情報ばかり集まる。
ポジティブに考えれば、それを補強するポジティブな情報ばかり集まる。
どっちも偏っているかもしれないが、ポジティブな方が楽しかろう。
「どうせ、ダメだし、できないし、金ないし。」なんて思うのは、やめて、
「毎日、楽しいなぁ。」
「人生はなんて素晴らしいんだろう。」
「今日もごはん美味しいなぁ。」
「私はなんて大金持ちなんだろう。」
みたいに、考えていると、だんだんそうなってくると思う。
今日は、そんなことを考えた。
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