母語の話のつづき

さて、母語の話だが、なぜ子供は、話せるようになるのかが、不思議だったんだよね。

それで、昨日言ったとおり、母語は、他人に指摘されるまでは、ミスに気づかない。

言い間違いをしていても、気づかないから、平気で使える。


ちょっと違うかもしれないが、たとえば、童謡の「赤い靴、履いてた、女の子」の歌。

異人さんに、連れられて、行っちゃった」だが、

私の知人は、「曾祖父さん(ひいじいさん)に、連れられて、行っちゃった」だと、ずっと思っていたそうだ。

でも、自分がお手本で正解、という意識があるから、ぜんぜん気にしない。

これが、外国語だと、自分のリスニング力や語彙力の足りなさを、嘆くことになるだろう。


学校に上る前の子供には、お手本や正解がある外国語は、まだ存在しない。

子供には家族という、母語のお手本話者がいるが、子供は家族が話す母語を、お手本とも、正解とも思っていないはずだ。

彼らは、自分も周りの人と同じ、唯一の言葉を、「自在に操って(いるつもりで)」、堂々とコミュニケートしている、そんなふうに見える。

つまり、自分やコミュニケートしたい内容・情報が最優先課題であり、上手に話せるかどうかは、下位概念なのである。

一方で、ネイティブとの接触がない外国語学習者には、ネイティブがお手本であり正解。

同時に、コミュニケートするチャンスよりも、ペーパーテストが中心の学習者にとっては、正しく上手に話す、読む、聞く、書く、つまり正解を求めることが急務となる。

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なんて、小難しいことを考えるのはやめて、適当にやればいいんだよ、言語なんてさ。

それが、ネイティブ英語に近づく秘訣だ。

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